前向け思考力。
平々凡々の女子高生と平々凡々の中坊の息子の平々凡々の母の不定期日記です。
2人の父とチャン・ツィー。
もちろんレンタルDVDですが。
”初恋の来た道”というチャン・ツィー初主演の映画があります。
今ではアジアンビューティーの代名詞のような大女優ですが、
当時は本当にかわいらしく、
またそのストーリーも彼女のかわいらしさが、
すごく素直に出た映画でした。
私はけちなので、借りてきたDVDは、
1回目は吹き替えで、2回目は字幕で、
3回目は吹き替えなし字幕無しで観ます。
その映画もそのように観たのですが、
1回目は、かわいらしいチャン・ツィーが、
頑固なおばあちゃんになった姿に違和感を感じました。
それがなければ爽やかなかわいらしい映画だったのに。
でも回数を重ねるごとに、
頑固な婆になったチャン・ツィーが、
初恋のだんなさんの葬式のやり方のことで、
息子と対立します。その姿。
実家の父が彼のお母さんの初盆のやり方のことで、
あまり理解されないまま、強行したその姿に似てます。
チャン・ツィーは初恋が始まったそのときから、
夫となったその初恋の人を、
そうやって最後まで見送ってあげようと、
心に決めていたに違いない。
父もまた、まだかわいらしい息子の時から、
初盆にばあちゃんと沢山の人を見送ってきたように、
ばあちゃんが寂しくないように、
初盆にはばあちゃんを見送ってあげようと思っていたに違いない。
初恋とは違うけど、父にとっては、
人を好きだと思う初めての人がばあちゃんだったのだろう。か?
「今時、川原で火をくべるなんて・・・、」
と私も思いました。
映画の中でも、ばあちゃんになったチャン・ツィー、
の息子が、
「今時・・・・・なんて・・・・」
というシーンがあります。
近々わが家で法事があります。
舅は昔ながらのやり方で、
大勢の人に来てもらいたいと思っています。
「今時・・・・なんて・・・・」
だんだん地味になってきた高山の法事ですが、
昔ながらにやるそうです。
きっと舅もずっとこうして50年忌を迎える事を、
お母さんと約束したの・・・でしょうか。
父と舅とチャン・ツィー、
似てるんです・・・そこらへんが。
國母くん。
珍しく時事ネタから入ります。
が、身の回りのつまらな~い話です。
オリンピック・スノーボーダーの國母くん。
例の腰パン騒動ありました。
職場でも若い子達は、何をかんちがいしているのか、
制服(工場のだっさい作業服)を腰パンにしてパンツ見せてる子が何人もいます。
物理的に離れているうちは黙ってみていたのですが、
我々の試験室に入ってきたので、その一人を、
アラフォーおばさん達(40歳±10歳)が、
出て行くときにはすっかり好青年に仕上げて送り出しました。
それでも次の日には、またまた、
袖のボタンを外し、襟を立て、上着のファスナーを胸下まで下げ、
腰パンで、さらに、
保育園児で言うならおへそも背中も中のシャツが出た状態で入ってきたので、
そんなに構って欲しいならいくらでもかまったる。
と、またよってたかって、ズボンを上げ、シャツをインしてやり・・・。
「なんでこんな風にしたいの?」と聞いてみました。
「人といっしょはいやなんっす。自分らしさを表現したいんっす。」
・・・・・。
その子のその台詞を聞いた後に國母くんの記者会見を見たので、
おばさんの私からは腰パンの子はみんないっしょに見えました。
國母くんの腰パン騒動のあと、
ウチの会社の腰パン君は腰パンを辞めました。
「どうしたの?急に。」と聞くと、
國母くんの腰パン騒動をみて自分は腰パンをやめようと思ったそうでう。
「やー、やっぱおかしいっすよ。」
ほお!っと私。「でしょ、やっぱりあの格好は変でしょ。」
「いや、俺としては全然格好は関係ないんすけど、
日本のマスコミはちっちぇーなと思って。
やっぱ出る釘は打たれるんすよ。
こういう社会に生まれちゃったんだ~って思って、
ああやってたたかれるんなら損する前にやめようと思ったんす。
俺も大人っすから。」
「・・・・・。」
ジェネレーションのせいなのか・・・。
でも君は出る釘とがそんな良いもんじゃないから・・・。
とかいろいろ考えたのですが・・・。
服装一つ、少年一人更生できたことに歓びを感じとこう。
それに「っっっすよ。」とか言ってる時点で子供やし。
息子が風邪ひいた。
その日の朝、息子さんの布団が全くベッドから落ちてしまっていました。
寒くなかったのかな・・・と思いながら声をかけると、
案の定、声がガラガラ、重たい咳を連発していました。
幸い熱がなかったので頑張ってその日は学校に行きました。
帰宅後、やはり気になったのでかかりつけの街医者につれてきました。
診療終了時間もせまる待合室には3組ほどの親子。
看護婦さんの問診を受けたあと診察室に。
息子「おねがいしま~す。」
先生「ん、どした。そか、のど痛いのか?頭もふらふら?熱はない。
んん、そかそか。」
息子「咳がでて~」
先生「ん、そかそか、苦しいか?夜寝れたか?布団かぶってなかったやろ。
ん、どれどれ、口開けれ・・・・・・・ん~、真っ赤やな。そら~のど痛いわ。
布団から出とっても、おかあちゃん横でグーグー寝とったやろ。」
息子「えええっと~」
先生「そかそか、今学校でも風邪がはやっとるでな~。
腹風邪が流行っとる。どや、今日は学校休んでる子おらナンだけな」
息子「えええっと~、休んでる子はいませんでしたが~。」
先生「そかそか、お前のクラスは優秀やな。」
息子「いや~、その~、早退した人は一人~。」
先生「何、早退。どして早退したのいな。
頭痛かったんけな?腹きもちわるかったんけな?」
息子「えええっと~、あんの~・・・・。」
先生「ふむふむふむ。」
息子「お昼からの家庭科の授業で~・・・。」
先生「ふむふむふむ。」
息子「ミシンの針で指を刺して、病院行ってそのまま早退しました。」
診察室は終業時間も迫って看護婦さんたちは道具を片付けたり、
慌ただしい状態でしたが、大笑いの渦が起こりました。
先生「そかそか、じゃ、のどの炎症抑える薬出しとくで、
腹出して寝とったでじゃ、反省せい!」
先生は片手で息子の手を握って片手で頭をぐりぐりっと撫でて、
私達親子を診察室から追い出しました。
待合室は診療時間が過ぎても、患者さんがまた増えていました。
娘の誕生日。
娘の誕生日にケーキとお赤飯を、
実は間に合いませんでしたので少しだけご馳走をしました。
「今日は何の日?」と姑。
珍しく旦那さんも夕飯に間に合いました。
何歳になっても息子ってもんはかわいいらしく、
みんなでそろって夕飯を食べるのは久しぶりだと、
舅と姑はご機嫌でした。
元旦が誕生日の舅。
その次の日が姑の誕生日。
あまりにも年中行事とかぶってしまっているので、
二人はあまり特別に祝ってもらった事がないのかな。
我家には誕生日のお祝いがありませんでした。
お誕生会は私がもちこみました。
ご機嫌の二人。
姑「お前が生まれたひはたんと雪が積もっとってな~。」
舅「コレの時やったか~?俺がせいて(早く)行け~!って言ったの。」
姑「そいな。初の子やで、そんなに早く進んどると思わなんだんやさ。」
舅「俺は何人もお産を看てきたもんで、長年の勘でそう思って・・・。」
(ちょっと自信ありあり。)
姑「雪道で揺られるもんで、途中で出にゃええがと思ったんやさ。」
舅「病院着いたらじっきに(直に)生まれた。」
姑「おとうさんと交代でご飯を食べに行こうかどうしようかって言ってたら、
看護婦さんが「ジョッチャンですよ~。」って片手で持って見せにきてくれた。
ちっさいもんの、目のでっかいもんの、指の長いもんやったワイ。」
そういえばこの状況、私の誕生日にもあった。
祖母は家族の誕生日に必ずお赤飯を炊いてくれた。
赤い重箱に南天の葉が乗っていた。
必ず私が生まれた日の話をしてくれた。
私は実家のすぐ近くの助産院で生まれました。
小学校の教師をしていた父。
三学期の始業式の日の朝。
まだ幼い二人の兄達に、
「おかあちゃん赤ちゃん産みに行ってくるで。」
そして自転車の荷台に乗せてもらって助産院まで行ったそうです。
二人乗りして行ったか押してもらって行ったかは???
親戚の高校生のお姉ちゃんに「どこにいくの?」と聞かれて
「子供産みに行ってくら~!」
と父が言ったのか母が行ったのかは???
祖母が兄をおんぶして産院に着いたときに、
産まれたけれど泣かない、と言われて心配したらしいが、
ドアを開けて部屋に入ったと思ったらホギャホギャと泣いたそうです。
実家では家族の誕生日には誕生会をして、
親の言う事をきいていた頃は、
誕生日を迎えた人の似顔絵をそれぞれが描きました。
それはまだ納戸のどこかにあるんじゃないかな~。
いろんな思い出に浸りながら、
家庭教をサボッてケーキとお赤飯を作りました。
産まれてきてくれてありがとう。